2012年08月31日

田舎の日記

さすがに 夜は、早く寝た疲れが半端で無い、何か善いことが有ったなら 嬉しくて疲れもぶっ飛び所だが 空振り三振では、酒を少したしなめ 眠りに入った。その夜 また 変な夢を見た 汚ないボロボロ衣類に身を包み 髪の毛 モジャモジャ 頭に ヒゲ ボウボウの男が 遥か昔に出てくる 農民たち 相手に 手振り 身振りで何かを河原で 草ボウボウの場所で 何かをやっていた 二ヶ所に竹を刺して 縄をはり 向きを決め、また方角を決め 鳥居らしき モノを取り付けていた それが終わると 手を合わせ何か そこしらぬ 声を張り上げ 天を仰ぎ 何か唱えていた。周囲の風景 特に山々が 何かいつも 見ている風景にて 家の前の旧赤川の跡地にそっくりにて。また 夢から覚めたら 夜中の二時半過ぎ また メモ用紙に半分寝ている状態で内容をメモ
した。朝は、4時半で起きて アルバイトへ 小さな土地改良区の田んぼに引く ポンプの管理と水路の点検で 1日 三回 見回って 三千円 安いが 何もしないより ましと 思い 引き受けた アルバイトで有った。朝 ポンプを見に行く前に メモを見た 見なくても しっかり 脳裏に焼き付く程 鮮明な光景に 何だったんだろう。
川辺の土手沿いに 朝日が昇る 何とも 清々しい こんな自然に触れ 朝日を浴びるこの 幸福感は、サリーマンをしていた頃には、考えられない事である 毎日 仕事に追われ また 人付き合いのストレスなど 今 収入は、無いと同じだが 心の収入は、相当な程の様に感じた。思わず朝日に手を合わせて感謝を述べていた。その時 そうだ 時間を調整して 昼の巡回を早め 羽黒山に行って見よう?何でも そこに 歴史に詳しい方が要るかも知れない 修験者が 古から要る場所だから 行って見よう!寿秋は、昼前に羽黒山に向かった。
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2012年08月30日

田舎の日記  「空海が探し求めた渡来人の里 は、東北の日本海側だった。」

彼の家に行き 部屋に通されて 改めて 彼に「久々元気だったと!」「まぁ何とかやっているよ」と月並みな会話ではじまり 「実は、俺変な夢みて 神様か仏様かよく分からないが スメラ ヒラ ミコトとか 言っていてそれ何だか 君なら分かると思い。」「ちょっと
待ってくれと」二階から何だか 分厚い本をもってきて 私に見せた、何でも 竹内文書
とか言う古史古伝の書物らしい そこで しばらく 彼は、竹内文書の系譜が書いてある 分厚い本の中身を見いってた。あった これだ これだ 多分 最初の方の ヒラノが入っている 上古25代の初めの方 の 天皇だよ あれ天皇は、 神武天皇から始まったと 学校の歴史で聞いたんだが どうなってんの? その祖先様が実は居たんだよ それも 宇宙から地球誕生 まで 皆 神様が天皇と言うか まぁ 代表って いうか! その内 解るよ? 一応 本 貸すから 古事記 や 日本書紀と どう違うの! んー それよりもっと古い文献なんだよ 兎に角 見れば解るよ? そんな訳で借りては、来たが どう見ればよいのか!昔から歴史は、好きだが 学校で教育された内容が全てでは、無いと まぁ 半世紀も 生きていれば 世の中 政治も経済も 時の権力者や有力者の都合の良いように 運営されているのが 世の常、くらいは、俺でも 解るし 歴史もその延長線上に 為っていることも 何となく分かる気がした。まぁ 一応目を通すか?そうだ もっと一般的にわかる様な本を購入した。数日たち 茨城県に その 皇祖皇太神宮が有るので 兎に角行って見ることにした。一人でいくのも 退屈しのぎに 佐藤 明夫を誘った。彼も 大変変わった男にて。忙しく 近々有る 参議院選挙に出馬する 地元 先生の応援とかで 地元選出県会議員の星山先生の通称 子分を名乗り その繋がりで 駆り出されている これも また フリーターで有って これをこなせば 仕事をコネで世話してもらえるとかで 随分張り切っている どうしようも無い男である。しょうがなく 一人で 片道 四時間半掛け行って見た。北茨城市で太平洋の海の近く
で環境は、良い所だったが 肝心の神社が 分かりづらく 周りに聞いても マニアックな人達なら わかるが 若い人に道聞いても もう1つ近く有る神社を教えられたりした。ようやく 昼過ぎに そこに行き 宮司さんと少し 話しが出来ればと思い 胸を弾ませ 玄関に有る チャイムを鳴らしたら 奥から 昼寝を邪魔されて 少し御機嫌斜めな 奥様が現れ 何か御用でしょうかと言われて 私から 此処に来た訳を話し 宮司さんにお目通りを願い出たらあいにく 講演に行っており2日ほど留守ですと!私から二三質問したいのですがと 切り出したら 解らないのでと アッサリ切り返された。しょうがなく お礼を述べ 神社を参拝して帰った。とても 虚しく 夢は、いったい 何だったんだろうと思った。長い帰りの道で また 明日から ハローワーク通いか?現実は、
厳しいとつくづく嫌気が込み上げてきた。


ここで参考にしたい資料より
「竹内文書の謎を解く」 布施泰和 よりの引用

七三世・武内宿禰との一問一答

正統竹内文書の内容とその性格について竹内睦泰氏に話を聞いた。

−−−この口伝継承が始まった経緯は。

原日本人に対する侵略者である武内宿禰が、原日本人からその歴史と秘儀を奪ったのだと思う。原日本人の歴史はおそらく、神代文字で書かれていたのだろう。もともと天皇と古神道とは関係がなかった。それが現在、関連付けられているのは、原日本人の歴史と秘儀を奪ったことと関係があると思う。そうして作られた歴史や秘術を正統竹内家が口伝で継承していった。

−−−原日本人の歴史が改竄されたということか。

そうだ。最初は古神道と天皇を結びつけるという意図も働き、その後も口伝継承していくうちに、伝言ゲームではないが時代とともに改竄されていったと思う。祭主が勝手に改竄・挿入したケースもあったと推察される。それでも原日本人の歴史は正統竹内文書の中に残っている。改竄されたといっても、それがネタ本だからだ。正統竹内文書は茨城に伝わる竹内文書よりもましだが、私自身は偽書だと思う。それでも真実の歴史が含まれているのではないか。

−−−巨麿が公表した竹内文書はニセモノか。

明らかにニセモノだ。巨麿一人ではできないから、酒井勝軍らが改竄を手伝った可能性がある。しかし巨麿の竹内文書も、元となるネタ本があった。それが正統竹内文書だったのではないかと思う。巨麿がどうやってそれを手に入れたのか。あるいは正統竹内文書の一部を盗んだのかもしれない。正統竹内家は南朝の皇子を富山にかくまっていたこともある。富山に竹内家があったのは事実だが、巨麿自身は竹内家とは関係のない人物だった。私は巨麿はサンカの出身だったのではないかと思っている。だから神代文字の中のサンカ文字は読めたのだ。

−−−正統竹内文書も偽書であるとする根拠は。

やはりキリストが来日したとか、神々が宇宙から来たとか、日本が世界の中心だとか、ストーリーが荒唐無稽だということだ。もちろん、それらが真実であった可能性もある。そうでなければ、秘授口伝をめぐり殺されたりすることもなかったろう。正統竹内家の秘伝には、あくまでも門外不出だった。しかも口伝でなければならず、文書化することも禁じられた。平群真鳥は、それを文に残そうとして殺されたのだ。戦国時代の竹内季治も織田信長を中傷したことや反キリスト教運動をしたことなどの理由で、見せしめのため信長に殺されたが、その背景には正統竹内文書をめぐる戦いがあったとされている。竹内神道は門外不出で、口伝自体がご神体といっても過言ではない。

私がそうした正統竹内文書を公開しようと思ったのは、たとえ偽書であっても、偽書を悪と決めつける風潮が許せなかったからだ。偽書の中にも歴史推理のヒントは含まれている。『古事記』だって似たようなものではないか。

−−−キリストの来日は、正統竹内文書ではなんといわれているのか。

茨城(巨麿)の竹内文書では、キリスト来日の時期を垂仁天皇のころにしているが、正統竹内文書では神武天皇のころとなっている。キリストは五十鈴彦または伊勢津彦と名乗り、八戸を越え蝦夷地に入り、さらに東へ進んだことになっている。弟は伊須気余理彦または石切彦という名前で、茨城の竹内文書に出てくるイスキリと似ている。こうしたキリスト伝承はおそらく、後南朝と結びついた竹内神道が、修検道や密教を取り込みながら山から山へ移り住むうちに隠れキリシタンと合流したため、キリスト伝説が口伝に入り込んだのではないかと思う。


大和族と出雲族の争いと和睦

−−−ほかに巨麿の竹内文書と違うところは。

根本的に違う部分はたくさんある。口伝では一万二〇〇〇年前に世界中で大洪水があった。その洪水の後、最初に文明が開けたのは日本だった。日本の縄文文化は世界最古の文明だった。その文化は八〇〇〇年前に中国に伝わった。五〇〇〇年前には、欧州にも伝わった。その中でいつのころかわからないが、太陽信仰を持つグループである日本のスメル(天皇)族が、沈んでいく太陽を追いかけるようにアジア大陸に渡ったのだ。おそらく太陽の沈む彼方に理想郷があると思ったのだろう。そのグループは二つあり、それぞれ朝鮮半島と南洋を経由して西を目指した。その二つのスメル族のグループはメソポタミアで再び合流した。ところがメソポタミアまで来たものの、どうもそこには理想郷はなかったことに気づいた。
スメル族のグループは、シュメール人と呼ばれた。彼らは古神道に通じていたが、本来古神道とは自然と調和して生きる術、自然の力を利用する術であった。ところが砂漠の地方では、自然は人間に敵対するものでしかなかった。古神道の考えとは合わなかったわけだ。

失望したスメル族は二手に分かれて、つまり自分たちが来た道を通って再び日本に戻ることにした。インドネシアなど南方のルートを通って日本に戻ってきたグループは九州高千穂に上陸、彼らは大和族(日向族)と呼ばれた。彼らは海を下ったので(天降った)と言い換えられた。一方、陸路を使って朝鮮半島から日本に戻ってきたグループは山陰地方に進出、彼らは出雲族と呼ばれた。

彼らは当時の原日本人を制服していった。出雲族は日本海側を支配、大和族は瀬戸内海側を海路東進し、奈良に入った。出雲族のスサノオは、越王朝のヤマタノオロチを「退治」した。その後、出自不明の大国主はスサノオの娘と結婚して出雲の王となったが、それを認めてもらうために再び越の国を攻めた。

その間、出雲族と大和族は何度か小競り合いを繰り返した。おそらく最初の戦いでは大和族が勝ち、二度目の戦いでは出雲族が勝利した。二度目の戦いの後、和睦が結ばれ、出雲族のスサノオはアマテラスと夫婦の関係になる。しかし、大国主の息子の事代主(コトシロヌシ)が王の時代に、再び戦争となり、出雲族は大和族に敗退する。その結果、当時の大和族の主である神武は、事代主の娘を娶り、ここに大和朝廷が確立する。おそらく紀元後五〇年ごろの話だ。こうした歴史と、越の国などに伝わっていた原日本人の記録と秘術が合体して、口伝ができたと考えられる。

−−−洪水以前の話は口伝にはないのか。

あるが、公開できない部分が多い。触りだけ話すと、太古の昔に神々は宇宙からやって来たことになっている。いつごろのことか不明だ。どこから来たのかについては三つの説がある。私自身は三つも説があるのはおかしいと思うが、北極星説、スバル説、オリオンの三つ星説だ。

−−−降臨した神々と人類との関係は。

当時、地球には原人がいたが、現代の人間は彼らが進化したとは思われない。黄色人種が世界に散らばり、白人になったり、黒人になったりしたのではないか。少なくても日本から世界各地に散らばり、都を築いていったのだと思う。口伝では都をアスカと名付けたとある。アラスカやナスカはその名残だと思う。

−−−ヒヒイロカネの口述もあるか。

ある。おそらく赤色の金属だったのではないか。

−−−キリスト以外の聖人の来日については。

孔子、溥儀、釈迦が来日したことになっている。マホメットの来日についての口伝はない。

−−−竹内文書にみられるような近代の地名はやはり伝えられているのか。

サンフランシスコやボストンなどの記述はない。唯一あるのは、大山阿夫利神社でも知られるアフリという名だが、この由来は雨降りだと思っている。

以上が竹内睦泰氏との二時間にわたるインタビューの概要だ。口伝のどこまで信じるかは読者の自由である。ここでは私もあえてコメントをしないでおこう。ただこうした口伝からも、北陸に、そしておそらく飛騨にかけて原日本人の文明が超古代に栄えていたことがうかがえる。原日本人の歴史を武内宿禰が奪ったというのも、金井南龍の「平群真鳥盗用説」とほぼ合致する。また、天皇(スメル族)は日本でなく大陸に渡ったという説も引かれる。そういう説ならば、竹内文書がよく批判の対象となる思想、つまり日本の天皇は世界を統治していたとする超国粋主義的な考えから、少し距離を置くことができるからだ。

もちろん、睦泰氏が継承した正統竹内文書は、本人も認めているように原日本人の歴史を改竄したという点から偽書ではあるのだろう。その後も改竄が重ねられたのかもしれない。(睦泰氏は口伝を正統竹内家の長老たちから継承しただけであるから、仮に偽書だとしても悪意や罪があるわけではない)しかし偽書であっても、巨麿の竹内文書を口伝と併せて研究すれば、竹内文書に隠された真実の秘史の部分が浮き彫りになってくるのではないだろうか。

posted by 田舎人 at 08:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月29日

田舎の日記 

あまりにも リアルすぎる 夢で一度おきて 台所に行き 水を飲み 時計を見たら午前2時半過ぎだが 夢の光景があまりにも鮮明なため メモ用紙にこの内容を記載した。朝になり また いつもの ハローワーク通いで「45番の方」 ハローワークの係りから呼び出され、係りの前の椅子へ 求人カードの求職に対して職員からは、またもや無常に 「やはりこの職場でも実際は、30歳くらいで 後 実務経験がないと駄目みたいで 結論から申しますと先方は、見合わせとの事です。」そのいつもの答えに形式とは、言え 「ありがとうございました。また次回宜しくお願いします。」すると職員がすかさず 52番のカードをお持ちの方と何とも嫌な音が天井いっぱい 高々とこだました。失業保険も3月で切れ この4月からは、収入も無く少しの蓄えを取り崩しての日々をよそに あぁー無常のハローワークは、家族持ちの自分に春なのに冬の訪れのような冷たく胸に刺さる冷たい北風のようだった。
 
外に出て車を意味も無く走らせ海の見える丘へ止め その辺にある自動販売機で出来るだけ安い飲み物を買い その辺に座り ボーと しばらく 海を眺める 周りには、二組のアベックがいるだけで 誰もいない それもそうだ 大体 今日は 月曜日の昼過ぎ いる訳ないよなぁ
俺も人並み 仕事したいなぁ と思い 空に浮かぶ 雲を眺めていたら あぁ そうだ あの夢だ 何だったけ 神様みたいなぁ 何だか知らないが スメラ ミコト とか! 誰か 分かる奴いたっけか!!!! あぁいた いた 伊藤 英夫 英夫君がいた 彼もフリター長くやっているが へたすればいるかも!!! 携帯電話を コールしてみる あれれ 出ないや やっぱり
無理か 切ろうとしたら 「もしもし」不機嫌な声がしたが 何とかこちらから 「久々 元気でやっている 耳寄りな情報あるんだが 今 あえないかぁ」と何とか御機嫌をお伺い 彼の家へ 

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田舎の日記 2

あまりにも リアルすぎる 夢で一度おきて 台所に行き 水を飲み 時計を見たら午前2時半過ぎだが 夢の光景があまりにも鮮明なため メモ用紙にこの内容を記載した。朝になり また いつもの ハローワーク通いで「45番の方」 ハローワークの係りから呼び出され、係りの前の椅子へ 求人カードの求職に対して職員からは、またもや無常に 「やはりこの職場でも実際は、30歳くらいで 後 実務経験がないと駄目みたいで 結論から申しますと先方は、見合わせとの事です。」そのいつもの答えに形式とは、言え 「ありがとうございました。また次回宜しくお願いします。」すると職員がすかさず 52番のカードをお持ちの方と何とも嫌な音が天井いっぱい 高々とこだました。失業保険も3月で切れ この4月からは、収入も無く少しの蓄えを取り崩しての日々をよそに あぁー無常のハローワークは、家族持ちの自分に春なのに冬の訪れのような冷たく胸に刺さる冷たい北風のようだった。
 
外に出て車を意味も無く走らせ海の見える丘へ止め その辺にある自動販売機で出来るだけ安い飲み物を買い その辺に座り ボーと しばらく 海を眺める 周りには、二組のアベックがいるだけで 誰もいない それもそうだ 大体 今日は 月曜日の昼過ぎ いる訳ないよなぁ
俺も人並み 仕事したいなぁ と思い 空に浮かぶ 雲を眺めていたら あぁ そうだ あの夢だ 何だったけ 神様みたいなぁ 何だか知らないが スメラ ミコト とか! 誰か 分かる奴いたっけか!!!! あぁいた いた 伊藤 英夫 英夫君がいた 彼もフリター長くやっているが へたすればいるかも!!! 携帯電話を コールしてみる あれれ 出ないや やっぱり
無理か 切ろうとしたら 「もしもし」不機嫌な声がしたが 何とかこちらから 「久々 元気でやっている 耳寄りな情報あるんだが 今 あえないかぁ」と何とか御機嫌をお伺い 彼の家へ 

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2012年08月28日

「空海が探し求めた渡来人の里 は、東北の日本海側だった。」

田舎の日記を 暫くお休みさせてもらいましたが 一部の人達からのカンバック要請に答える形で 再度 ペン ネーム 佐藤 寿秋 が どうせ やるなら 自分の好きな事 郷土歴史を小説風にして ガラッと 内容を変えお届けしますので今後とも宜しくお願い申し上げます。最初の作品は、弘法大師こと 空海がこの東北の日本海に来た伝承をお届けします。題目 一番、「空海が探し求めた渡来人の里は、東北の日本海側だった。」 二番 「渡来人が探し求めた里(本当の聖地)は、東北の日本海だった。」

さしあたって題一番 「空海が探し求めた渡来人の里 は、東北の日本海側だった。」

幼少の頃 亡くなった母親やその叔母にあたる親戚の人達から俺んちの家の前に昔 昔 大昔に トテツもなく偉い 坊さんが 来たんど?そしてこの地域を色々 救ってくれたと?幼い頃は、軽く 聞き流していたが 私も50才も過ぎ 世の中 まぁ 不思議だらけで 見える物より 実際に見えない 影(陰)の力が多くを占めており お陰様の意味の大変ありがたいものと感じ始めたこの頃に 長く勤めた職場もこの不景気と御時世でリストラの憂き目に会い またハローワークの長い列に並んでも 中々 仕事にありつけず ボーと口を開け 空を眺め 俺にも 誰か救世主が現れないかと馬鹿な事を考えてた時 ふと 幼少の時 聞いた 偉い坊さん とは?誰か 口伝が有る以上誰か歴史的に来ているはずだと思ったら 何だか 知らないが急に 元気が出てきたが ハテハテ 何処をどう探したならと 途方に暮れていた。そんなある日 中々 現実の不安で眠れない日々にやっと寝付いた時 不思議な夢を見た。

長い長い 参道であった。参道を歩く人々で混雑していたが 余りに長く 上に雲が架かっており 頂上が見えず やっとこ登ったら 大きな 大きな神殿が見えた。何だろうここは?いったい何処だろと周りをきょろきょろしていると 大きな杉の木下があった。取りあえず、ここで一休みと思い気や 何や空の上から 大きな 音がした。回りの人々は、淡々と参拝している様子だが この大きな うねりの音に気づかないのかなぁと思っていると 大きな唸りの音が 「良く参られた もっと ちこうよれ さぁさぁ ちこう ちこう」吸い込まれように 本堂らしき 神殿のど真ん中へ、自然と体が動かされた。そこで たまらず私が「あなた様は、いったい 何方ですか! 私に何の御用ですか!」と聞き直した。するとまた空いっぱいのうねり声が「私は、スメラ ヒラノ ミコトであるぞよ」私も大きな声で答えた。「私は、よくわかりませんが」 「今にわかるぞよ とにかく よう参られた この日をどんなに待ち構えたか!よう参られた。今にわかりますぞよ あなた様をずうと ずうとこの日がくまで待っていましたよ 今にわかります。 心配後無用ですぞよ」と天からの声が止み 雲の晴れ間から太陽の日がさしたように周囲が明るくなり 雲の上の神殿が遠のいていく様子の時 夢から目が覚めた。       
posted by 田舎人 at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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